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番外 第35回梅園学会in国東
2010.10.16(土)・17(日)
梅園学会が国東市で行われた。16(土)は梅園学びの道ウォーキングが安岐のウォーキング愛好会のご協力で行われ、会員も多数参加されたようです。、ゴールの梅園の里で4時から1時間、梅園についての話があったとのこと。
6時~8時は 恒例の懇親会がありました。梅園の里の皆様、いつもお世話になります。

17日(日)は準会員の私も九州自動車道、大分自動車道をぶっ飛ばし、2時間半で福岡から駆けつけました。皆様とは2年ぶりの再会です。
9時半からの研究発表会の様子です。地元の梅園研究家も昨日のウォーキング愛好会の方も多数参加されています。 
無料でもあり、色々な媒体で告知していますが、会場にはまだ余裕が











梅園資料館の浜田晃氏による開会宣言  安藤昌益の気論から見た梅園 新谷正道氏











玄論における機 矢野香代子氏 玄論の発想と梅園の論理 小川晴久氏

昼食後










自然科学の受容 ー二豊の偉人群像ー小串信正氏  研究発表後の総会での小川代表

帰路は中津経由の宇佐道路、椎田道路を利用し、九州自動車道は北九州空港から古賀までのルートで帰福した。
秋の行楽シーズンでもあり、宇佐道路、椎田道路が無料の関係で予想以上の混雑でした。









# by 326ohe | 2010-10-11 22:00 | 三浦梅園学会
番外、第33回梅園学会
2008.11.8.9


第33回梅園学会
11月8日(土) 
国東市のアスト国東マルチホールで
11月9日(日) 
梅園の里で開催されました。
一般市民の方も多数参加され盛大に行われました。

私も中津であったのを機に昨年から参加してます。

11月8日(土)の様子です。
司会の浜田晃氏の開会挨拶に続き、国東市長の野田侃生氏の挨拶を頂きました。

13:15~14:15  東大名誉教授 小川晴久氏の
       基調講演「梅園先生における誠の道と学問
            ーいま 世界と地球環境が求めるその先見性ー

14:30~15:00 三浦梅園研究所代表 北林達也氏による
       特別発表(1)復元版「玄語」の紹介
15:00~15:30 金沢工業大学理学部 メディア情報学科准教授 出原 立子氏による
       特別発表(2)「玄語図」の3Dイメージシュミレーション」
   以上の3つの発表が行われ、地元の方々も熱心聞かれてました。            

15:40~17:00 の パネルヂスカッション    
                 テーマは「三浦梅園が伝えたかったこと
パネリスト(5名順不同)       
   パネリスト     浜 田 晃  国東市三浦梅園資料館勤務
   パネリスト     小串 信正  梅園学会委員   
   パネリスト     林 浩 昭  大分県立農業大学校校長
   パネリスト     武多 成道  三浦梅園詩文研究家    
   パネリスト     江無田睦子  杵築市社会教育委員   
   コメンテーター  小川 晴久  梅園学会代表   
   コーディネイター 萱嶋源一郎 エアーフロント協会

梅園先生の精神がいまも生き、それを教育に生かされている武多先生と江無田先生のお話が特に印象的でした。
また地元ならではで、梅園先生の出自についてのご意見も出、1時間半の時間があっという間に過ぎました。










それからバスで40分「梅園の里」に移動し,懇親会が行われました。
昨年の中津に続き、そして今回の国東での充実した学会に対し実行委員長の萱嶋氏に
皆さんから感謝の言葉が寄せられました。

11月9日(日)の様子です。 
 








宿泊したバンガローからまずは本館の温泉に
7:30から朝食をおいしく戴きました。
[梅園の里]小会議室での2日目の研究発表です。  

その1 価原の現代語訳の吟味           新谷正道 氏 
その2 別府湾学流圏—梅園学流の発展としてー   小串信正氏  
その3 「梅園稿本類電子データベース」のあり方と可能性  浜田 晃 氏 
                             以上3名の方の発表も充実でした。

発表のあとの総会も無事に終わりました。
 
昼食は梅園の里で好評の 
 ~ 旬菜づくしバイキング~
     地元で穫れた新鮮な旬の野菜をメインにした
        お料理の数々を頂きました。
お開きの後、時間のある方は当初の両子寺参詣の予定を変更し、小城観音の展望公園に
私は皆さんを代表してここから約20分の両子寺へ向いました。

                両子山 両子寺
国東半島の中央に位置する標高721mの両子山。そこから放射状に海へと下がる28の谷が、半島に刻まれています。大昔、谷には村ができ、来縄、田染、伊美、国東、武蔵、安岐という名が付けられました。この村を中心に発展した山岳仏教が六郷満山文化と呼ばれています。六郷満山の総持院であったのが両子寺です。 








天台宗別格本山両子寺(ふたごじ)の
書院と護摩堂








大講堂から奥の院に上り、下りた所から
両子山に登る道が続いている。
20分前の会話
拝観料のおばさんに「頂上まではどの位かかりますか?」
「30、40分くらいですよ。」
よーし!この際登ってみるか。(長崎街道も一歩一歩で、いつか長崎に着いた。)

しかし登り始めてビックリ、道は舗装されているが、勾配の何と急なこと。
それが何処まで続くのか?最後まで急勾配のままでした。道も真っ直ぐは登れません。
下を見ると九十九折の道が......
やっと頂上にあと200m  もうすぐです。丁度40分かかりました。
 
両子山山頂721m

頂上は360度のパノラマ。あいにく遠くまでは見えませんが、別府湾や姫島、四国の島影が微かに見えます。梅園が里から毎日眺め思索に耽った両子山、梅園は幾度登ったのか?

下りの途中に看板があり、脇道へ 両子のお山の七不思議(鬼の背割、針の耳など)と百観音

山門を下りた所にある参道の仁王像は、国東半島最大の石像仁王、あ行、うん行は見事な均整美で満身の力をたくわえている。
いい時間を過ごしました。さあ一路福岡まで豊後高田、宇佐、中津から北九州経由で
# by 326ohe | 2008-11-09 22:00 | 三浦梅園学会
20.轟木宿~中原宿~久留米分岐(長崎街道完結)
2007.10.31 天気 晴れ

今日は鳥栖駅に近い轟木宿を出て、中原宿と神埼宿の間の久留米分岐まで歩くと私達の長崎街道が完結します。 昨年の春、中津から日田まで、 この春からは智善君と二人で日田から長崎まで歩き、秋は小倉からとうとうここまで歩きました。











轟木宿に入るところの秋葉町の趣きある商家  菅公の「姿見の池」と「腰掛石」の史跡











日子神社にある長崎街道と轟木宿の案内碑











国道から外れるとのどかな 田舎道がまだ残る         
轟木宿、中原宿の間は案内の碑が結構あり、確認しながら安心して歩ける。








競馬場を過ぎるとタイミングよくレストラン、看板のセンスに引かれ、外はキレイではないが、中に入ると雰囲気もいい

ハンバーグとステーキの店「たかひら」です。180gのハンバーグにコーヒー付で960円
少しやわらかいがソースが絶妙で満足です。長崎街道TOP5入りです。



「長崎街道中原宿入り口」の石碑 (工事中でしょうが、汚い )   

六ノ坪橋を渡り舗装道から外れ、三養基高校の校庭のフェンスに沿って畦道を歩きます。













やっと今日の目的地、久留米分岐の交差点に着きました。
此処から吉野ケ里駅まで歩くとかなりあるので、ここで鳥栖までバスで戻ることに決定。
バスを待つ間にハッと気づきました。
ここから吉野ケ里駅まで正規の長崎街道は歩いていない
気を取り直し駅までの1.2キロを歩きました。   
気づいて良かった。これが幸運に


さらに幸運が 駅に着く直前に電車が出た。
次はと時間を見ると一時間後
がっくりして駅から吉野ケ里の
方向を見ると 

一面のコスモス


吉野ケ里公園駅北口にある約1万2千平方メートルの田園に広がるコスモス畑です。
見ごろはちょと過ぎたかもしれませんが、見事な花畑です。(春は菜の花畑とか...)

しかもひとっ子一人いません。
二人で独り占め(正確には二人占め)です。オッパッピー!!











長崎街道完全踏破 
                  応援有難うございました
次はどの街道を歩くか?秋月街道、唐津街道 三浦梅園の行程....... 
   来年また挑戦します。

本日の歩数計距離 
   13.44㌔、19.776歩(しっかり歩数10.249)、551 kcal

中津から長崎、小倉から中原宿までの記録
 累計距離    歩数     しっかり歩数   消費カロリー
446.21 km 672,435歩 491,608歩 18,600 Kcal
# by 326ohe | 2007-10-31 22:00 | 長崎街道20(轟木宿~)
19.山家宿~原田宿~田代宿~轟木宿
2007.10.17 天気 晴れ













JR筑前新宮から筑前原田(はるだ)経由、筑前山家駅へ
筑前新宮から約1時間、9時40分着。今までで一番早い歩き出しです。
今日は山家宿から原田宿、田代宿、轟木(とどろき)宿を目指します。
写真の電車は原田線のワンマンカー











   


「従是西御笠郡、東夜須郡」の郡境石



自転車で日本一周を目指す人と
200号線(?)上でばったり。
道路わきでお互いの健闘を祝す。
彼はこれから湯布院、阿蘇、
宮崎、鹿児島とのこと。

定年後のチャレンジ 万歳 万歳


しかし、この時点で道を間違えていたのだ。後で修正出来るまで、40~50分ロスしたが、
ミスしてなければ彼に会うハプニングも無かったでしょう。










目の前の宝満川が....やっとこの下見橋で宝満川を渡る。    筑紫神社










原田宿の町並み と 原田(はるだ)駅












シュロアモールで昼食 ヤキソバ、ラーメン、うどんと悩みましたが
広島風のつけ麺に決定 ヘルシーでばくだんとは辛さが1~10倍とか........
おにぎり付で量は並で870円、替え麺もあったようだ。今度は辛さに挑戦  けやき台駅










  猿田彦大御神 と 長崎街道の町並み










   
基山駅 と 今町の庚申尊天  今町は北の木山口、南の田代宿間の町並みが残る












田代昌町にある田代宿の東口追分石 「右 ひこ山 左 こくら、はかた道」














田代外町の田代宿の西口追分石 「右 さが 左 くるめ道」と彫られている。  
         田代宿から轟木宿まではわずか3.5キロ   轟木宿の八坂神社
今日はここで終わり。鳥栖駅からJRで帰福。
次回の久留米分岐で長崎街道が完全に繋がります。

本日の歩数計距離 
   20.70㌔、30.451歩(しっかり歩数21.631)、831 kcal
# by 326ohe | 2007-10-17 22:00 | 長崎街道19(山家宿~)
番外.三浦梅園あれこれ
2007.10月13.14日の両日、
第32回梅園学会が中津市の川嶌整形外科病院と国東市安岐町の「梅園の里」で行われました。
午前中、学会員の方は村上・大江両医家史料館、福沢会館、中津城を見学されました。
また午後の学会は一般の方にも公開され、多数の方が出席されました。
私も以前から興味があり、今回良い機会でしたので初めて参加しました。
そのときの様子です。
10月13日(土)











第4代梅園学会代表委員の小川晴久氏(東京大学名誉教授・二松学舎大学教授)で
「梅園の医学論と条理」についての研究発表
川嶌 眞人会員の「三浦梅園と田原淳と人体解剖」についての発表











出原立子氏(金沢工大)の演題 「江戸の視覚文化-梅園と周辺の人々を中心に-」
玄語図をCGでユニークに表現、こういう切り口があるとは  一同が絶賛 












5時前に中津の学会を終了した。が川嶌理事長の紹介で明日の「梅園の里」での
2日目も急遽出席することになった。
中津から3台の車で1時間半かかりやっと7時に「梅園の里」に到着、その間小川代表委員を助手席に乗せるハメになり、学会の歴史についてのHOTレクチャーが延々と......

私も梅園の血縁の端くれだが..
この流れは(心の中では狙っていたが)   こういう機会は2度と無い...

温泉に入った後の懇親会、皆さん梅園の研究が15年とか30年とかの猛者です。
哲学の話はさっぱりですが、梅園の研究も、経済学、医学、文学、文化史と範囲が広い。

<中津から”梅園の里”への移動>小川晴久氏談
13日夕方、5時半に3台の乗用車(浜田氏、小串氏、大江満氏)に分乗し、約1時間半かけて、梅園の里に移動し、7時半から9時まで夕食を兼ね懇親会をもった。懇親会での新しい主人公は福岡から参加された大江満氏であった。大江医家史料館大江氏のご子孫であるが、三浦梅園の三女類が安東貞五郎に嫁し、安東家と大江家が姻戚関係を結ぶので、大江家は梅園と遠い姻戚関係になると言う。そのよしみで梅園学会に入会して下さった。梅園家は類を介し、安東家、大江家と繋がっていることを今回の中津での学会で知ることが出来た。中津の大江医家史料館との絆の誕生(発見)である。


10月14日(日)


翌日、早めに朝食を取り梅園資料館の裏山にある三浦家の墓地に墓参りに行く。
中央の屋根があるお墓が梅園のものです。梅園は1日3度先祖の墓に詣でたという。




梅園の左右には祖父泉石翁徹山
 と 
父野梅堂虎角
の墓が並ぶ。







2日目の研究発表
童蒙筌と梅園叢書比較 
   - 新谷正道氏-
『価原』稿本と写本の整理について  
   -浜田晃氏-
『玄語』の概念構成(骨格)  
   -三浦幸一郎氏-
三浦梅園と中津=豊前学流への展開  
   -小串信正氏-
    新聞の記事を見られた地元の方も多数参加されていました。


昼食は山菜を中心とした定食
新米のおにぎりは食べ放題でした。
食堂は日曜日と木曜日は特に多いようです。(詳しくは梅園の里のHPで)















梅園が設計したという梅園旧宅。
綺麗に改修が終わっていました。










梅園が幼少時、読めない文字があれば書き留め、月に1.2度辞書を引きに行ったというお寺西白禅寺。我々も約4キロの道を梅園と同じように山道を歩いた。
あいにくその辞書は大分県の先哲史料館に貸し出されていた。

-心臓の電気的刺激伝導系の発見者-










最後に田原淳(たわらすなお)の生家を訪ねた。田原は中嶋家の生まれで中津の医師田原春塘の養子になった。その中嶋家の祖先も梅園の弟子であったと言う。
その後、東京へ帰る方お3方を大分空港までお見送りし、帰途に就いた。
空港道路、大分道、九州自動車道と高速をつなぎ、2時間半で帰福した。
大いに充実した2日間で、昨日の朝には門外漢の私が帰りには梅園学会の賛助会員になっていた。   
川嶌先生、梅園学会の皆様、お世話になりました。





地図の写真を
クリックしてください。
拡大します。




私の今一番興味のある情報を梅園資料館で見つけた。中津から長崎までのその時代の道程である。、私の予想するルートではなかった。梅園一行は安岐を出て中津から耶馬溪の守実から、英彦山、小石原、秋月、太宰府を経由する遠回りのコースを取った。非常に信心深い梅園の一面が感じられる。
意外ではあるが、魅了的なルートである。  何時かそのルートも踏破したい。
# by 326ohe | 2007-10-14 22:00 | 三浦梅園学会
18.内野宿~冷水峠~山家宿
2007.10.10 曇り

2,3日前の天気予報で降水確率が60%だったので、諦めていたが、
相棒のK氏からのTELで急遽歩くことにした。何とか天気はもちそうだ。
久しぶりの車での予定だったので10時過ぎに家を出て、前回の筑前内野駅へ












内野駅に車を置き、町の中を疎水が流れる内野の町を再度散策し、
11時過ぎに山家(やまえ)宿へ向け出発。











内野宿を出るとすぐの老松神社の境内の狛犬です。
よく見ると右の狛犬は何と 子連れ












やっと鳥居から国道を離れて山道に入り
ホット一息します。  冷水有料道路と下を走る原田線の線路

石畳の残る長崎街道最大の難所 冷水峠


























大根地神社の参道がある冷水峠の頂上。
ここに穂波郡境石、御笠郡境石がある。











国道脇の大根地神社の上り口
峠から降りるとすぐの国道200号線はトラック道路。歩道も無い。命がけの冷水(汗)峠だ












恵比須石神 と 郡屋跡(母屋は残っていないが
郡屋敷自体が残っているのは貴重です)









    山家宿の西構口跡 と 山家駅












山家駅に午後3時に到着、次の内野まで戻る列車まで1時間以上ある。
駅前には店も無い。
駅前で駐車中の方と話すうち、内野出身の親切な方で内野まで送ると言う。
遠慮がちに乗せてもらう。車中で内野の歴史を詳しくお聞きする。
今日4時間歩いた距離が車では15分だ。
この長崎街道踏破で受けた親切は牛津以来2度目だが、一番ありがたかった。

本日の歩数計距離 
   12.51㌔、18.404歩(しっかり歩数11.090)、492 kcal
# by 326ohe | 2007-10-10 22:30 | 長崎街道18(内野宿~)
17.飯塚宿~内野宿
2007.10.3 快晴 真夏日
10:00 新飯塚駅着、今日は飯塚宿から内野宿、原田宿目指して歩きます。
まず、飯塚宿を散策し、長崎街道の遺構を探す。



飯塚宿には
オランダ屋敷跡、
北構口跡、
問屋場跡、
中茶屋跡、
御茶屋跡、
大神宮跡
南構口跡など石柱で親切に表示しているが遺構は殆ど残っていない。残念です。










大神宮跡(現清酒神乃栄の麻生酒造) と 南構口跡の碑












飯塚本町商店街の中の紀乃国屋書房の からくり時計 と 見物に来た幼稚園児
毎正時、時計が開き、象と、大名が乗った馬、オランダ人が配置され、下を大名行列が通ります。照明も夜明け、日中、夕暮れを演出します。大変凝ったからくり時計です。










途中雰囲気の良い店がある パン屋 さんだ。11時も過ぎ少しお腹もすいた。軽くお茶でもと立ち寄る。
店の名は 石窯パン工房 「森のこぐま
評判の店のようだ。店内はお客で、賑わっている。コーヒーや紅茶のサービスもある。
目に付いたエビサンドと私は揚げた豚万、相棒はカレーパンをいただく。先週に続き
大当たり 場所は 飯塚市堀池267-6 八木山バイパス穂波東出入口そばです。











200号線と旧筑豊本線に沿ってひたすら歩く。
途中、楽市小学校の校門に石碑が
「昔この道 長崎街道 今 あいさつ街道」の文字が 右) よく見ると 天道(tento)駅





天道駅を過ぎると「天道宮」 境内の狛犬の面白いこと。逆立ちしたものと立ち上がったものが













刈り入れの終わった田の畦に彼岸花(ヒガンバナ、別名マンジュシャゲ)の華が鮮やかに
近くの幼稚園の園児の散歩に遭遇?今日は幼稚園児と花がキーワード か?
元気なあいさつありがとう。可憐さはコスモスの花に負けていません。

        内野宿の見所、脇本陣小倉屋、旅籠肥前屋       
                  脇本陣長崎屋、JR筑前内野駅 です
今日は山家宿までは無理でした。来週は街道最大の難所 冷水峠 を越えて
山家宿を目指します。16時過ぎの電車で戻ります。

本日の歩数計距離 
   18.04㌔、26.537歩(しっかり歩数14.920)、726 kcal
# by 326ohe | 2007-10-03 22:00 | 長崎街道17(飯塚宿~)
16.木屋瀬宿~飯塚宿
2007.9.26 快晴 真夏日


JR筑前新宮から折尾で
福北ゆたか線に乗り替え、
筑前植木まで約1時間、
筑前植木の駅前から真直ぐ約2.1km、
遠賀川を渡ると木屋瀬の町

















本陣の門を移築した永源寺の裏門と須賀神社など、再度小屋瀬の町を散策し、10時50分、直方宿、飯塚宿に向けスタートしました。












木屋瀬の町から遠賀川の左岸の土手を走る県道73号線を歩くが、歩道がなく、トラックが多く危険なので川原の道を探し、
やっとゆっくり歩く。
日の出大橋の手前の鉄橋の上を走る筑豊電鉄の電車、
日の出大橋を渡り、遠賀川と英彦山川の合流地点を見て、直方の町に入る。










そろそろ昼食をと思いながら、直方の古町通り商店街に着き、左に曲がると店の前に洋食の持ち帰り弁当のメニューの看板が目を引きます。お値段もリーヅナブル。
中に入ると表からは想像がつかない別世界。昼前なのにお客でいっぱいです。         注文した日替ランチ(ドリンク付)はメンタイのパスタです。 
-久しぶりの大正解ー   うきはの道の駅のうどんバイキング、大村のカレーも良かったが長崎街道ではNO.1かも..... 店の名は ビストロマルシェ 
その夜にネットで見ると直方では知る人ぞ.......













長崎街道は古町通り商店街を通り、多賀神社、石炭記念館のある直方城跡のそばを通り、新町の谷尾美術館(あいにく休館日)前を通る。













土手の県道の歩道は草が生え放題、ひたすら遠賀川の右岸を草を掻き分け歩く。
コスモスの花に救われる。












             小竹駅 と 鞍手郡と勝野村の境界石










飯塚市は穂波川と嘉麻川が合流して遠賀川になる地点にあり,石炭や米や蝋などを運ぶ川船交通の要所で昭和30年代まで石炭の町で栄えた。麻生、貝島、安川の石炭御三家のあと大正期の石炭王ー伊藤伝右衛門ーの見事な門構えを持つ屋敷跡(平成17年から飯塚市が管理)
許斐神社から飯塚の町を望む。











片島の町の旧家が並ぶ街道筋、
町の中心の納祖八幡宮
久しぶりによく歩いた。まだ日差しも強く、少々バテタので今日は此処まで。新飯塚駅に向う。
桂川、吉塚経由で帰福。今日はJRの福北ゆたか線を一周した形だ。

本日の歩数計距離 
   26.46㌔、38.925歩(しっかり歩数26.103)、1.087 kcal
# by 326ohe | 2007-09-26 23:00 | 長崎街道16(木屋瀬宿~)
15.黒崎宿~木屋瀬 (こやのせ)宿
2007.09.12. 快晴

今日は黒崎宿から木屋瀬宿まで。
途中の「曲里の松並木」と町をあげて長崎街道の保存に力をいれている
木屋瀬の町の散策が今から楽しみです。













JR黒崎駅の黒崎宿宿場通り広場にある長崎街道の案内 と 乱橋にある筑前六宿街道(長崎街道)の道標












600×3
黒崎駅前の繁華街から僅か600メートルの所にある「曲里(まがり)の松並木」
三菱化学の敷地内にあったため奇跡的に残った長崎街道唯一の松並木。
昔のままの土盛りで約600メートル、両側に約600本の松並木が遊歩道として
大切に保存されている。
全長崎街道の中で鈴田峠、井樋の尾峠、日見峠など見所はありますが、ここは楽ですし
一番のおススメの場所かもしれません。是非一度訪れてみて下さい。
此処に行くとあなたも歩いてみたくなるかもしれません。

























旅の安全を願った「幸神」さま と 道路にあった 「黒崎宿~長崎街道~木屋瀬宿」 のプレート












小鷺田町の一里塚と
旅の人が涼を取った中の原の涼天満宮


上の原の平家の落人伝説のある「やから様」の祠
なにしろ今日はめちゃ暑い。
通り過ぎる車の人もなんでこんな日にと言うような顔
やから様を過ぎ、「ウエスト」でちょと早い昼食をとる。
店内は涼しく体を冷やし気力を養う。













石坂の手前にある立場茶屋「銀杏屋」
天保7年(1836)の火災で焼けた大銀杏が残り、両脇から新たな幹が成長したという。
地元のボランティアの方が訪れる人を優しく迎えてくれる休憩所、お茶をいただく。












岩盤が露出し旅人が難儀したといわれる急坂、
今は石が敷かれ当時の面影はない。
途中にある井戸跡

筑前六宿の一つ「木屋瀬宿」
東構口から始まり約900メートルの大通りを中心に宿場町が構成されています。










木屋瀬宿は赤間道(唐津街道)との追分宿としても栄えた。












長崎街道「木屋瀬宿記念館」
歴史への旅体験をテーマとした「みちの郷土史料館」と
大正座と呼ばれた芝居小屋を模した多目的ホール「こやのせ座」がある。










旧高崎家住宅
江戸時代末期の代表的な宿場建築として極めて重要な建物。
市が平成7年から修復工事を始め、平成9年3月に完成した。
大戸口、摺り上げ戸、雨戸、吹き抜け、井戸などにすごい工夫があります。

西構口跡にある「是より右赤間道、左飯塚道」の道標
実物は「みちの郷土史料館」にあります。











木屋瀬から筑豊電鉄で黒崎に戻り、先日探したが判らなかった餃子の店「いづみ」に直行。
4時の開店直後で2番目の客、餃子とヤキソバで乾杯。

本日の歩数計距離 
   16.53㌔、24.688歩(しっかり歩数17.323)、684 kcal



# by 326ohe | 2007-09-12 21:00 | 長崎街道15(黒崎宿~)
14.長崎街道完全踏破.秋編スタート 小倉~黒崎宿
2007.9.10. 晴れ

今年の猛暑もやっと和らぎ、秋の長崎街道完全踏破を今日スタートできました。
春の中津~長崎の長崎街道は中原宿からの長崎街道でした。
今回は小倉の常盤橋から中原宿を結びます。

紫川に架かる常盤橋の遠景です。周りの近代的ビル群との対比が強烈です。

小倉は江戸時代から交通の要所で、長崎街道、門司往還、中津街道、秋月街道、、唐津街道の五街道の起点がこの常盤橋です。下関から舟でこのあたりから九州に上がり、橋の周辺には、多くの商店が建ち並び、他藩の藩主が参勤交代で宿泊する本陣もあった。九州の街道はすべてこの常盤橋から始まり、九州の日本橋となっていました。











現在の橋は平成7年に江戸時代の橋を再現したもので、橋の材料は東南アジア産のチーク材を使用した木の香りのする素適な橋です。












途中、急に出現したレンガの建造物 説明の看板によると 
レンガをアーチ型に積み上げた見事な橋は旧九州鉄道の茶屋町橋梁 です。
明治24年(1891)に門司ー黒崎間に鉄道が敷かれた時、ここ茶屋町に架橋した。










今はきれいに整備されたリバーサイドの荒生田の一里塚跡
そこから遠くに見えるは帆柱山か?




八幡東区の図書館の前庭にある二つの道標、豊前の国境石、筑前の国境石








前田の一里塚跡





黒崎宿の
東構口跡 
と 
黒崎宿
人馬継所跡











本日の歩数計距離 
   17.96㌔、26.818歩(しっかり歩数18.913)、754 kcal
# by 326ohe | 2007-09-10 21:30 | 長崎街道14(小倉から)
13.夢に見た長崎 市内観光(自分で褒美)
2007.6.4 晴れのち曇り














昨夜の稲佐山からの夜景は天気にも恵まれ,すばらしい眺望だった。個人タクシーの案内で頂上までの往復2人で3,000円、時間も短縮でき超ラッキーでした。
今日はゆっくり長崎市内の観光です。
昨日、駅の観光案内所で買った長崎さるくパスポート グラバー園、出島、長崎歴史文化博物館の(3ヶ所の)利用と路面電車&らんらんバスが一日乗り放題で1,500円・・お得です。













グラバー園からの眺めは絶景です。園内のあじさいが一番いい時期でした。











昼食は新地の中華街で定番のやきそばとチャンポンとチャーハン(二人で)














大浦天主堂(日本二十六聖殉教者天主堂)          長崎歴史文化博物館
中世のヨーロッパ建築を代表するゴシック調の教会で、
現存する木造教会では日本最古のもの。










出島の縮小模型 と カピタン部屋

前野良沢が長崎でオランダ語を学んだ
大通詞の吉雄耕牛の部屋もこのような様子であったと思われる。初めてのコーヒーにはビックリしたであろう。


19世紀初頭の出島

出島の復元事業は平成12年から始まり、昨年のさるく博に合わせ,ほとんど完成しましたが、まだ石垣の整備作業などが続けられています。



帰りの大村湾パーキングからの夕景、ちょうど雲がかかり雨がぱらついた一瞬の
幻想的な風景

本日の歩数計距離 
   10.84㌔、15.946歩(しっかり歩数13.338)、479 kcal

中津から長崎までの歩いた距離です。よく迷いましたので,
当初の計画の2割り増しです。


出発地~目的地 歩数計距離 歩数  しっかり歩数 消費カロリー
 1 中津~柿坂 27.71km 41,362 36,002   1,140 Kcal
 2 柿坂~日田 29.65km 44,264 38,923   1,206 Kcal
 3 日田~吉井 26.86km 40,096 38,923   1,093 Kcal
 4 吉井~御井 31.51km 46,348 38,769   1,386 Kcal
 5 御井~神埼 23.62km 40,157 38,769   1,023 Kcal
 6 神埼~佐賀 21.82km 32,574 28,643     993 Kcal
 7 佐賀~北方 26.59km 39,104 24,265   1,099 Kcal
 8 北方~嬉野 27.71km 41,362 36,002   1,140 Kcal
 9 嬉野~松原 27.62km 46,618 35,716   1,123 Kcal
10 松原~諫早 25.22km 37,660 28,678   1,040 Kcal
11 諫早~矢上 18.74km 27,982 21,746     756 Kcal
12 矢上~長崎 22.68km 33,363 27,607    997 Kcal
13 長崎市内  10.84km 15,946 13,338     479 Kcal

合計 320.57km 486,836 407,381 13,475 kcal
# by 326ohe | 2007-06-04 22:30 | 長崎街道13(おまけ)
12.矢上宿~日見宿~長崎奉行所・出島
2007.6.3. 曇りのち晴れ
今日はいよいよ 中津⇒長崎 完結の日、難所の日見峠を越えて長崎の市街に 14.5キロの道のりだ。今日も暑くなりそうだ。
今日宿泊する長崎市内のホテルに車を入れ、前回の肥前古賀駅にJRで移動



四百年の歴史を誇る植木技術と庭園の町で有名な 肥前古賀 を10時20分にスタート、植木業者の庭園が数多くあり、その中で赤瀬邸の枯山水庭園の日本一のラカンマキを見せてもらう。
樹齢 約600年、高さ約10m




八郎川に沿って下り、由緒ある矢上神社に寄る。神官の方から天井絵の説明をいただく。
矢上宿の跡の石碑もあり。






芒塚(すすきつか)インターチェンジからの芒塚の町
遠くに橘湾が微かに見望される。









ここまでも相当登って来たが、この日見峠のトンネルの入り口の左の急な登りが最後の難関であろう。







竹林の中に古道が残り、途中に元禄の初め長崎を訪れた
芭門十哲の一人向井去来の句碑も残る。ここで見送りに来た弟子達と別れたのでしょうか?





    




     



        日見峠の関所跡の碑    と    新茶屋跡の碑



長崎市の水瓶の本河内貯水池に沿って下り、長崎で2番目に古い石橋 
一の瀬橋
にある 蛍茶屋跡の碑
電車も見えやっと長崎市内に入ったという感じです。













長崎街道から外れ、鳴滝の方へ入り、シーボルト記念館に寄りました。 
ちょうど長崎の花アジサイのシーズンで企画展として”シーボルトとオタクサ展”が開かれていた。
オタクサとはアジサイの学名でお滝さんにちなんでシーボルトが付けたそうです。
シーボルトはアジサイを分類発展させヨーロッパに紹介しました。












”お諏訪さん”と呼ばれる長崎っ子の氏神様である諏訪神社と諏訪神社からの長崎の町の夕景


`07.6.3.16:30

遂に いに
長崎街道の最終地点 長崎奉行所西役所跡がある県庁に到着しました。
中津から長崎までの約247.5km、去年3月からの挑戦、続ければできるんですね。

日田からの同伴者河野氏とここでハイタッチし、秋の小倉からの完全踏破を誓いました。

本日の歩数計距離 
   22.68㌔、33.363歩(しっかり歩数27.609)、997 kcal
# by 326ohe | 2007-06-03 22:30 | 長崎街道12(長崎ゴール)
11.永昌宿(諫早)~矢上宿
2007.5.28. 晴れ
今日の予定は諫早から矢上宿の近くの肥前古賀駅まで、
次週でいよいよ長崎入り、長崎一泊で観光します。


















  左島原街道の碑              総合農業試験場の中にある”お馬の水”跡













わずかに面影が残る赤松坂 
日陰で弁当を食べようとしたら蚊の大群、慌てて坂を抜ける。 旧久山茶屋跡の井戸 
                                      なぜか 竜馬の写真が











やっと井樋ノ尾峠を脱出出来ました。途中右か?左か?迷いに迷い..こっちしかなかろー
1キロ以上歩きやっと畑に人が、花木の方角に入り込んでました。戻る坂道は上り坂
二人とも無言、初めてのピンチです。                 是より東佐賀領の石碑
もとの地点に戻ると 何と右150度の超スライスラインに道が...疲れました。



古賀の町に入った。長崎と諫早のちょうど中間地点、茶屋もあったという古賀の藤棚
古賀人形の説明もあり、ここで今も作られているという。
肥前古賀の駅を過ぎるとJRから遠くなるので今日はここで打ち止め。諫早に戻ります。
次はいよいよ長崎入りです。

本日の歩数計距離 
   18.74㌔、27.982歩(しっかり歩数21.746)、756 kal
# by 326ohe | 2007-05-28 22:30 | 長崎街道11.永昌宿(諫早)~
10.松原宿~大村宿~永昌宿(諫早)
2007.5.21. 天気 快晴
今日の予定は前回の松原宿(松原駅)から大村、諫早を目指して歩く。
大村湾沿いに南下し鈴田峠が一番の難所になると思われる。
今日も暑くなりそう。用意した日焼け止めが役立つでしょう。














松原宿は大村、彼杵の中間にあり小さな宿場であった。庄屋屋敷は小学校になり、
石垣が僅かに面影を残す。 旧大村領内に残る”松原の五色石垣”














先方に杉や楠木の茂る神社らしき森が見えた。今日も暑い。 ここで一休み
昊天神社である。彼杵郡の総鎮守で、大村氏の守護神として祭られていた。













大村の商店街 
歴史の散歩道”本陣通り商店街”とある。


カレーののぼりがやたら目につく。大村浜屋でカレーの美味い店を聞き、喫茶店に入る。
カツカレーとコーヒーをいただく。久しぶりの満足な昼食でした。













旧街道の面影が残り、”歴史の道百選”に選ばれた鈴田峠















鈴田峠の国境石と弁慶の足型石         永昌宿跡の石碑、ここで鋭角に曲がる。
やっと諫早に着いた。JRの駅も近いみたいだ。今日はここまで。。

今日も暑かった。鈴田峠のブトにはほとほと参った。5.6キロは着いてきた。それも私に
諫早駅のミスタードーナツでからだを冷やし、松原駅まで引き返し、
車で彼杵インターから帰福
本日の歩数計距離 
   25.22㌔、37.660歩(しっかり歩数28.678)、1,040 kcal
# by 326ohe | 2007-05-21 22:30 | 長崎街道10(松原宿~)
9.嬉野宿~彼杵宿~松原宿
2007.5.7. 天候 晴れ
今日の予定は前回の嬉野宿から彼杵宿を経て大村湾沿いに南下する。
中津の海(周防灘)から初めての海(大村湾)が楽しみ。どこまでいけるか?



和多屋別荘から10:30 出発
嬉野温泉街にある 嬉野湯宿西構口跡 の石碑











長崎街道の面影が残る
嬉野郊外の坂道










平野川の”平野渡”跡入り口









俵坂峠の佐賀藩番所跡と
領境石(是より北佐賀領)











 領境石(大村領)       と        二ノ瀬にある大楠跡(現在二代目か?)











海が見えました。

中津の周防灘の海から実に2年振りです。彼杵の海岸の八坂神社にある元禄船着場跡
少し歩いて道の駅「彼杵の荘」で昼食 うまいものをと思いきや中にあるは ほか弁とは!!!
クジラ料理とか期待したが.....











右手に海を見ながら34号線の国道と山道を登ったり下りたり、千綿から山道を松原に。
途中のうどん坂は夏の日差しで汗びっしょり、やっと松原まであと4キロと聞き、
彼杵まで戻る電車の時間と競争です。 この日はとにかく暑かった。












無人駅松原で彼杵行の電車を待ち、彼杵からJRバスで嬉野温泉まで戻り
シーボルトの足湯で一服し帰福

本日の歩数計距離 
   27.62㌔、46.618歩(しっかり歩数35.716)、1.123 kcal
# by 326ohe | 2007-05-07 22:30 | 長崎街道9(嬉野宿~)
8.北方宿~塚崎宿(武雄温泉)~嬉野宿
2007.4.24   天気 晴れのち小雨
今日の予定は北方宿から西へ、武雄(塚崎宿)を経由し、嬉野宿まで下ります。
嬉野で温泉に入り、JRバスで武雄まで戻り、車で帰福します。


泊まった武雄センチュリーからの眺め、日本庭園と美術館が併設してあるが
美術館は9時からで残念であるが、見れなかった。








武雄駅近くの夜泣き地蔵
武雄駅から北方駅へのバスの乗り場が違い予定のバスに乗れなかった。、待ち時間がもったいないので、北方-武雄は逆走することにした。




えんま坂から享保橋に向う麦畑のなかの農道
佐賀県は麦畑が多い。この1~2週間でずいぶん大きくなった。
神埼ソーメンになるのか?  小麦です。何でもなります。







高橋の水路と火除け地蔵











武雄温泉の商店街の車道の左右に埋められた長崎街道25宿の陶板のひとつ嬉野宿









旧長崎街道の柄崎宿周辺に造られた宮の町夢本陣です。
往時の雰囲気がよく出ています。













これが武雄温泉のシンボルの朱塗りの楼門です。昔の本陣跡で、すぐ近くに脇本陣跡、代官所跡があります。昔ながらの温泉があり、昨日はは入れませんでした。
後日、必ず入りたい温泉です。












彼杵まで嬉野茶の茶畑が道沿いに連なる。
全国でも有名な茶所です。
今が一番茶の刈り入れ時とのこと、途中の加工場もフル稼働だ。









小雨の中、やっと嬉野温泉に到着、歩道のタイル絵に沿って着いた場所が和多屋別荘のすぐそば、早速温泉に浸かることにした。大きな風呂で露天も良い。さすが嬉野!!!裏は嬉野の川

雨の中を近くの停留所へ、予定より1本早いJRバスで車がある武雄のホテルへ戻る。
今日5時間かけて歩いた距離が何と約30分 そんなものなんです

本日の歩数計距離 
   27.71㌔、41,362歩(しっかり歩数36,002)、1,140 kcal
# by 326ohe | 2007-04-24 22:30 | 長崎街道8(北方宿~)
7.佐賀~牛津宿~小田宿~北方宿
2007.4.23. 天気 晴れ
今回は車で武雄まで行き、武雄温泉駅から佐賀駅まで戻り、歩き始める。
佐賀市内から西へ西へ 武雄温泉まで歩けるか?、北方止まりか?..



  









前回の続き 佐嘉神社からスタート、
佐賀の街は側溝の蓋に長崎街道の籠の絵が描かれており、それに沿って行けばよく
解り易かった。                             脇街道 浜道の石碑













日新小学校の校庭にある反射炉のミニチュア、
佐賀藩はここで溶鉱炉の鉄から大砲などの兵器を製造した。佐賀藩は長崎港警備の関係で、西洋科学技術の取り入れに積極的であった。 右)佐賀市指定水系 大覚寺井樋水系















佐賀の町中で見かけるたくさんの恵比須石像、街角や家の前に季節の花が飾られ、生活に溶け込んだ感がある。それぞれ表情が豊で、ユーモアがある。商売繁盛の神で佐賀市内だけでも、60体以上あるという。












復元された高橋の古橋 
佐賀城下の西の出入り口で、有明海航路の物資の集散地として賑わった。
慶長年間に架橋され、たもとに番所が置かれた。














河川敷にあった刑場に引かれる罪人との最後の場所”別れの松”の碑と
旧河川が森林公園になっている嘉瀬川、
この河川敷で毎年 アドバルーンの国際大会が開かれ有名です。











牛津宿の千手観音
千手観音にお孫さんと散歩に見えていた方に,近くの自宅でお茶をご馳走になる。
お遍路みたいに 羊羹と梅干も  お孫さんのかしこいこと
いまさらながらご住所を聞きそびれて 申し訳ない。ご親切忘れません。












牛津宿と北方宿の中間の小田宿近くの肥前山口駅前    街道の記念碑、津の里広場
小田宿は多良街道への追分があり、浜道とに分かれる。




今日のゴール、北方駅 ここから武雄のホテルまでJRで戻る。





夜の食事はホテルのフロントで中華料理店を聞き、御船山楽園前の純中国料理「八芳園」で、 ビールが冷えひえ、サービスも良心的で料理もすごく美味かった。お薦めです。

本日の歩数計距離 
   26.59㌔、39.104歩(しっかり歩数24.265)、1,099 kcal
# by 326ohe | 2007-04-23 22:30 | 長崎街道7(佐賀~)
6.神埼宿~境原宿~佐賀城下
2007.4.9. 天候 晴れ
今日はJRを利用、鳥栖駅で長崎本線に乗り換え、吉野ヶ里公園駅から佐賀方面へ歩く予定、今日からが長崎街道の本番です。











JR鳥栖駅の目の前                       吉野ヶ里公園駅
  サガン鳥栖の本拠 鳥栖スタジアム           駅から公園のやぐらが見える。    














石柱に 日本三所背振山辨財天道三十町とあり、背振山への追分です。











長崎街道 田手宿にある
伊勢皇太神宮 「田手神社」
 由緒書きによるとこの神社は、約千三百年前に杉野隼人なる人物が願い出ること33回、天智天皇が筑後に御幸された折りに、この地に天照大神を勧請して一宇を建立したのが始まりだという。
 ちょうど宮司さんが見えられ、お聞きすると杉野進さんという方で、なんと杉野隼人から34代目にあたるご当主だという。親切にいろいろお話をして下さり、お茶までいただく。


後日、来年の御神符をお贈りくださり
大感激!!!
記帳した記憶がなかったので
神様の仕業かな?と

「伊勢神宮大麻」 と
「田手神社家内安全」です。
 このブログをご覧の皆様
   来年はいい年になること
   請け合いです。















田手川の土手に沿って行くと広円橋が












長崎街道で唯一そのまま残る”ひのはしら一里塚” よく残ったものだ!
案内板にこの前の福岡西方沖地震で壊れ、整備される前の写真が
ありました。それに比べると立派になったが....    以前のほうが雰囲気が












       櫛田神社と大楠










 
   神埼宿場茶屋                 すぐ前に神埼橋の構口がある。
こんな茶屋があるとは知らず、直前にスーパーで買った弁当を此処で食べさせていただく。
お茶を快く出して下さり、ここのおはぎが美味しかった。
城原川を渡り、川に沿ってゆったりと土手を境原宿に向け歩く。














佐賀と神埼の中間にあるので境原宿      
境原宿の六地蔵                石柱には是より東神埼郡西佐賀郡 の道標   
佐賀に入るとクリークが目立ち、麦の田んぼが青々としている。                 
佐賀は麦の生産が日本第二位ということである。











佐賀市内に入ると長崎街道には道路の側溝の蓋に2種類の絵が描かれている。
絵に沿って行けば道に迷うことが無い。佐賀市は親切だ。












   佐賀市の重要文化財 
      旧三省銀行   と   旧牛島家 










       旧古賀銀行 と 旧古賀家
旧古賀銀行の建物を佐賀市歴史民俗館として利用している。 
旧古賀銀行の頭取、古賀善平の住居で、銀行本店の東隣にあります。











長崎街道から離れ、佐賀市内の見物です
桜吹雪の佐賀の県庁 と 佐賀城本丸歴史館
幕末、維新期の激動の時代 最も輝いていた佐賀藩、そして佐賀の先人たちを 
わかりやすく伝える施設として佐賀城はきれいに復元されており、感じのいい
ボランティアの方々が好印象でした。入場は無料だが募金箱が

本日の歩数計距離 
   21.82㌔、32.574歩(しっかり歩数28.643)、993 kcal

# by 326ohe | 2007-04-09 22:30 | 長崎街道6(神埼宿~)
5.御井(久留米)からついに長崎街道(中原・神埼宿間)へ
2007.4.2. 天候 晴れのち雨と強風
今日は前回のJR御井(久留米市内)から出発、久留米の町を通り抜け豆頭橋で筑後川を渡り、佐賀県に入ります。22号線をみやき町、上峰町を通りやっと(国道34号線の)長崎街道に出る予定です。









五分咲きの桜と久留米つつじが美しい石橋文化センターと園内の日本庭園











久留米の桜の見所を聞くと、小頭公園と言う。さすが ここの桜は満開だ。 
朝から今夜の席取りのためのブルーシートが敷かれている。










  筑後川にかかる豆津橋を渡ると佐賀県です。         今、菜の花が満開










天吹酒造は歴史の上に新しい感覚の経営を感じる酒蔵   中庭から裏の倉庫が見える
入り口の木の開き戸にはめ込まれたステンドグラス      
                                                                  










国道34号線の
久留米分岐の信号 長崎街道についに到着した。    今日の最終地点となった
ここは中原宿と神埼宿の中間地点です。            吉野ヶ里温泉”卑弥呼 "の湯
                                   











吉野ヶ里公園駅からJRで御井に戻り、車で帰福



これからお世話になる河島悦子著
(ゼンリンプリンテックス)の
伊能図で甦る古の夢 長崎街道
16年間の詳しい調査で
忠実に古の道を再現
長崎街道歩きのバイブルです。
先生に直接電話し、送って頂きました。
その節はお世話になりました。
あとの2冊は 「長崎街道を行く」 
           松尾卓次(葦書房)と
         新景旧景「長崎街道」 
           (佐賀新聞社)です。


















中津から長崎街道にぶつかるまでの道は、
特に日田から久留米までの道はほとんど国道を歩くだけでした。
次週からは忠実に古の道を歩きます。大変だが楽しみです。

本日の歩数計距離 
   23.62㌔、40.157歩(しっかり歩数38.769)、1,023kcal
# by 326ohe | 2007-04-02 22:30 | 長崎街道5(日田往還久留米)③
4.筑後吉井から御井(久留米)へ
2007.3.26. 天候 晴れ










御井(久留米)に車を置きJR御井駅から前回の筑後吉井駅へ、今日は吉井から久留米を目指します。












早めの昼食であったが、そばを焼くから焼きそばの久留米=想夫恋の焼きそば店を見つけ、開店を待ち一番に入店。開店後10~20分で満席になった。
テーブルの上の新聞には前日の能登半島地震の震度6強の見出しが











田主丸は植木、造園業の町。一般の家の庭もよく手が入っている。
国道210号から巨勢川を渡り151号に向う。この道が旧豊後街道山辺道(日田往還)とか
耳納連山の麓で絵画、染物、版画、工芸など数多くの作家が工房を構える”山苞の道”
に沿って田主丸から草野の町に        「 やまづと」って今でも読めません。









  
        
建久8年(1197)草野永平が勧請したと   元久元年(1204)持願上人の開基とされる
伝えられる 須佐能袁神社本殿 は     本殿の彫刻は極彩色に彩られ州の日光れる。
神仏混合様式の権現つくりとのこと。   この旅の相棒智善君ゆかりの 西向山専念寺 
         
                                          









草野歴史史料館(旧草野銀行本店)ー   
  筑後地方に勢力を持った草野氏は南北朝時代懐良親王を最後まで奉じた豪族で、
  草野氏の研究を通じてこの町の歴史的資料などを展示公開している。            
山辺道文化館(旧中野病院)ー
  草野に残る大正時代の歴史的建造物を保存し、伝統文化や町並みに関する資料の
  収集など地域の人々の交流拠点 コーヒーも飲めるようです。
          
       どちらも月曜は休み  残念 !!!もう一度訪ねます。









この池の桜はみごと、
最近特に有名な”浅井の一本桜”は露天も出ていたが、花はまだつぼみで今年は遅いようだ。残念でした。










柳坂曾根のハゼ並木 
秋に一度訪ねたいところ

御井からの帰りに車で高良大社を案内してもらう。久留米では福岡の太宰府みたいなところだが初めてです。桜が下界より早く七分咲き、展望台から久留米市街、筑後川がぼんやり見える。黄砂の関係か?  石橋文化センター近くの湯の坂久留米温泉で一休みし、車で帰福
  -今回の長崎街道の挑戦に利用した九州自動車道にはETCカードが本当に役立ちました。
   往復全て半額料金が適用できる時間帯を利用しました。ーー

本日の歩数計距離 
   31.51㌔、46,348歩(しっかり歩数38,769)、1,386Kcal
# by 326ohe | 2007-03-26 22:30 | 長崎街道4(日田往還久留米)②
長崎街道踏破の計画と報告
いよいよ来週は長崎街道へ入ります。
長崎街道の久留米分岐から長崎までの約128.4kmを
その後、小倉から久留米分岐までの115.6kmを歩き完全踏破を目指します。

長崎街道は江戸時代、小倉-長崎間57里(およそ220km)を25ヶ所の宿場で結んでいました。
徳川幕府が鎖国体制をしいていたなかで唯一、海外への窓口を開いていた長崎には、
海外からの知識・文化が流入するため、長崎街道は貴重な"文明ロード"となっていました。
               

                  計画と実行の日時と利用交通機関です。

       上の表で長崎街道(小倉→長崎)の距離を見る場合は
                 久留米→中原→神埼の間の21.1kmが入っています。 

                 下の表は実際に歩いた距離等です。

                 長崎街道の25宿と宿間の距離(km)です。
# by 326ohe | 2007-03-25 22:00 | 長崎街道踏破の計画と報告
3.日田から筑後吉井(再挑戦 中津から長崎への道)
2007.3.19. 天候 晴れのち曇り
昨年、日田で断念した中津から長崎への道を本日、日田から再挑戦します。
なぜ断念したか?日田からの帰りに温泉で入浴中、左半身の痺れが出て、断続的に続くため,従弟の宮城脳神経クリニックで検査したが、原因が判らず、ついに4月末から九州医療センターに2週間の検査入院、結果 頚椎の圧迫であろうとの診断であった。その後徐々に回復したが大事をとって断念しました。
今回から強い味方智善君が同行してくれます。はたして長崎まで行けるのか?
乞うご期待!今日は日田から筑後吉井までの報告です。











日田の市街を出発し、三隅川沿いにまず夜明ダムを目指して                     昼食は道の駅 ”うきは" の食彩館「からうす」 での うどんバイキング 
うどんorそばと野菜中心のバイキング  コーヒーもジュースもあり ハッピー











午後2時過ぎに古い町並みが残る吉井の町に到着、今日はここで打ち止め街中を散策する。
明日の3月20日からは浮羽町と合併し うきは市 になる。












このシーズンは「筑後吉井おひなさまめぐり」町内の商店や旧家、ギャラリーなど20箇所以上で江戸時代から現代までのお雛様を見せる。
ある店はショウウインドウに、現役のオート三輪のある肥料屋さんや「田舎に泊まろう」の醤油屋さんは店の中に、気楽に入れ見せてくれます。 










筑後吉井駅に4時前に到着、日田行きのJR電車は出たばかり、次は5時24分










駅前の桜はもう七分咲だ(この写真は次の週のもの)                   
                   駅前の雰囲気のある喫茶店、ここで粘らせてもらう。
                   客はわれら二人、店の方も優しく、ゆっくりさせてもらう。

今回は話相手もあり、昨年に比べ楽でしたが、その代わり相棒の足には豆がたくさん。
日田の町に戻り、一年ぶりに かんぽの湯に入り感無量、    車で帰福

本日の歩数計距離 
   26.86㌔、40,096歩(しっかり歩数38,923)、1,093Kcal

# by 326ohe | 2007-03-19 23:30 | 長崎街道3(日田往還久留米)①
2. 柿坂から日田へ(日田往還・中津道)
2006.4.12. 天候 晴れ


4月9日中津でマンダラゲの会があり、中津に泊まり、10日歩く予定であったが、明け方から激しい雨、止みそうになく福岡へ帰る。
今日の休みに福岡から再度挑戦、今日の天気は大丈夫です。
しかしハプニング 福岡都市高速の太宰府インター入り口一つ前でトラックの横転事故のため、30分動かず、一般道に下り太宰府インターに入る。大分道を通り日田インターで日田市内に着き、バスセンターへ急ぐ。日田から柿坂経由中津行きの予定のバスに奇跡的に間に合う。


柿坂から山国川沿いに歩き、国道212号から伏木の旧道に入る。
日田往還の石碑を見つけホッとした。中津から日田へは、この旧道を













のどかな田舎道、春爛漫、端午の節句のこいのぼり
畑では しいたけの菌を打ち込む母と息子の農作業














 ここにも日田往還の石碑が    花月の一番奥 花月川を渡る橋から見える滝

伏木から代官道を下り案内版のある舗装道路に出たが、そらから右か左か判らず、また伏木の山道に入り、難儀した。  今でも不思議だ!!!!!













日田の代官道
(日田往還の中でも一番の見所かも?)
大分県の指定遺跡で広瀬淡窓が漢文で書いた石坂修治の碑が残る




歴史の道百選に選ばれた代官道
この石畳の道は日田隈町の掛屋京屋の山田作兵衛が難路であったこの道を私財を投じ改修した。
江戸時代幕府の直轄地として代官所が置かれた日田市では、日田代官・西国筋郡代のお膝元、掛屋を中心とする豪商たちが活躍。天領日田として九州随一と言われるほどの繁栄を極めました。
   
伏木の道

ここから日田までの国道に沿って歩いた道が長かった。
歩道は傾斜があり歩きにくく、足に豆は出来るし、市内に入っても駅までが遠い......
日田市内は見所が沢山あり、特にひな祭りの頃は日田の天領祭りとして賑わう。

本日の歩数計距離 
   29.65㌔、44,264歩(しっかり歩数38,923)、1,206Kcal
# by 326ohe | 2006-04-12 22:30 | 長崎街道2【日田往還・中津)②
1.中津から柿坂まで (日田往還・中津道)
2006.3.8. 天候 晴れ
いつか中津から長崎まで歩いてみたいと思っていた。
 それが長崎さるく博のパンフレットを偶然に中津の梶原氏から贈られ
 いい機会だから期間中に長崎にと決意しました。
 その思いを年賀状に意思表示したのが2006年、
豊前中津から江戸時代、多くの人が長崎を目指し歩いた
   新しい知識を求めて....
 長崎まではどのような道を歩いて?長崎街道のどこに..?
 以前からの疑問を私なりに検証してみようと春を待ち やっとスタートしました。




豊前中津のスタート地点となった
中津市歴史民俗資料館・分館
「大江医家史料館」

















山国川の三口大井手堰の近くの「八幡鶴市神社」
この井堰の完成のため人柱になったお鶴・市太郎の母子の名がついた鶴市神社と
耶馬溪鉄道の線路のあとのサイクリングロード




山国川に沿って進むと荒瀬井堰からの疎水が左手に現れたのにはビックリ












もう一度訪ねてみたかった荒瀬井堰の顕彰碑があるオランダ橋のたもと
荒瀬井堰の改築記念碑
















小笠原藩の時代に下毛原台地に水を引いた荒瀬井堰の顕彰碑
下毛郡の今津組、蛎瀬組、佐知組の3人の大里正(大庄屋)の名が見られる。

頼山陽も絶賛した耶馬溪の秀景(秋の紅葉の時期が一番ですが)

今日は柿坂で打ち止め、バス停で日田からの大分交通のバスを待ち中津へ戻る。
本日の歩数計距離 
   27.71㌔、41,362歩(しっかり歩数36,002)、1,140Kcal
# by 326ohe | 2006-03-08 22:30 | 長崎街道1(日田往還・中津)①
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